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新しいコミュニケーションについて話す前に、ではいったい新しくないコミュニケーションというのはなんのことなのかを考えてみるべきではないだろうか? |
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私たちはコミュニケーションと技術の時代に生きています。日々、コミュニケーションのための新しい機械が登場してきます。デザイナーやアーティストだけでなく、こういった技術になじみのない人たちも、これらの機械、しくみ、そして背後にある考え方を理解する必要があるはずです。 新しい機械(たとえば、新しい携帯電話)は、新しいコミュニケーションの形態をともなってやってくるように1見みえます。しかし、こういった機械がもたらすものは、はたしてほんとに新しいコミュニケーションの形態や、可能性なのでしょうか?新しいコミュニケーションの形態というものがあるのなら、古いコミュニケーションの形態も、またあるはずです。 私は自分自身に何が新しく、なにが古いのか、問いただしてみましたが、どうもそう簡単になにが新しく、なにが古いものかを決めることはできませんでした。ひとつには、機械があたらしいということと、コミュニケーションの形態が新しいということが必ずしも一致しないのではないか、という疑問がありましたし、もうひとつ、なにが新しいかを定義するには、古いもの、現在のものがなにかを定義できなきくてはいけないということがあります。 確かに、新しい機械、しくみを使ってコミュニケーションをとろうとすると、私たちの多くは多かれ少なかれ不思議なとまどいを感じます。しかし、新しい機械に触れているとはいえ、それが新しいコミュニケーションに接しているからなのかどうかはどうもわからないのではないかと思うのです。なにしろ、私たちは日々コミュニケーションをしないと生きてゆけませんが、どれが古いものでどれが最近加わった新しいものかなど、考えてはいないのですから。 * このワークショップたちの目的は、こういった疑問からはじまって、私たちが今現在おかれているコミュニケーションの状況をまず確認してみよう、というものです。ワークショップに参加するひとたちは、会場で特別なシチュエーションにおかれます。この会場で、私たちは自分たちの体をつうじて、ダイナミックで考え深い体験をつくりだそうとしているのです。
Find a flow of information through our bodies: Othello in urban space: 2003- |
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Copyright 2003-, Noriyuki Fujimura |