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このワークショップは、私たちの間をどのように情報がながれ、またそのなかで情報が変化してゆくかを体験するものです。
携帯電話で私たちが何をしているかといえば、情報を交換しているにすぎません。その間、情報は耳から入ってきて、口からでてゆきます。
このワークショップでは、視覚的な情報(この場合は美術作品)が言葉に変換され、携帯電話を通じて転送され、その行く先ではまた別の人がその情報を紙の上に描くことで再び視覚情報に変換します。このプロセスが参加者にいったいどのように情報が私たちの間を流れるうちに変化してゆくかを考えさせます。
ワークショップ内容
結果
ワークショップで考えたこと
ワークショップ内容
このワークショップを行うのに理想的な場所は美術館かギャラリーです。参加者たちは2人1組にわけられ、1人はワークショップの部屋に残り、もうひとりは美術館(あるいは、ギャラリー)を歩き回ってひとつの美術作品を選びます。この美術作品がこの2人組がやりとりをする情報のもとになります。(1)2人に課せられた課題は、この美術作品の内容を携帯電話を通して伝えることです。(2)
ワークショップの部屋に残った一人は、携帯電話のほかに紙とペンを渡されます。(3,4)そうして、美術館を歩いているパートナーからの情報を頼りに紙にスケッチをするのです。(というわけで、少なくとも部屋に残る側の人はその美術作品を前に見たことがないほうがいいでしょう)
たぶんこうして視覚情報(絵画など)を言葉で記述して伝えるのは難しいことでしょう。でもこの難しさは、なんらかの形でいつも私たちが電話で話しているときにはついてまわるものです。
最後に、この伝達・描写が終わると、2人は一緒に集まって描かれた絵とほんものの絵がどのくらい同じか、あるいは違っているかを見に行きます。たぶんなにか不思議ななにかが付け加わっていたりするのではないでしょうか?(5)
結果: スウェーデン、マルモ市 2003年夏
2003年には、ロゼウム現在美術センターとマルモ市美術館で計5回のセッションを行いました。
結果は参加者によってまちまちです。でもあえていうなら、何度もセッションをするうちに、参加者はいろいろな方法でできるだけ正確に情報を伝達できるような工夫をしていました。しかしどうしても伝わらないものもやっぱりあるのです。人間の創意工夫はつきませんが、限界もまたあるのです。
ワークショップで考えたこと
さて、上記に書いたことのほかに、参加者と一緒にセッションを重ねながら、こんな議論をしていました。
もっとも大事かなと思われた話題は、コミュニケーションのなかで言葉の果たす機能です。たとえば、参加者のひとりが(たぶん、絵画を説明する側のひと)”痩せて、背の高い男”と絵の1部を説明したとしましょう。それはそれで正しいのですが(実際、絵の1部に”痩せて、背の高い男”が描かれている。)、ではどうやってこの言葉を受け取った側が、言葉を送った側がみた男と同じ男を思い浮かべられるというのでしょう?これが、ワークショップを通じて私たちが発見した疑問です。つまり、私たちがコミュニケーションをするとき、言葉は言った側と聴いた側がだいたい同じ意味、同じものをそこから想起できる、と信じているからそれが機能できるのです。。。でもやっぱりどこか伝えきれていないもの、または伝わったとお互いが思っていても確かめてみると違うものがあるのです。
こういった、ことばで伝わらない細かいことが、このワークショップでは奇妙な結果をもたらします。上の絵をみてください。手書きのほうには花が描かれています。でもオリジナルの絵には花などない。どうしてこんなことが起こったのでしょう。(ほんとうは、花をたとえに使って壁の色を伝えていたのですが、うけとった側はそこに花があると誤解してしまったのでした)。そして言葉でやりとりしているうちには、お互いそのことには気づかなかったのです。
こうして目に見える形で私たちの行っているコミュニケーションの奇妙さが現れると、足元をすくわれたような気分になります。
言葉は視覚的な記憶につけるラベルとして正しいのでしょうか?私が思っているあることばの意味とイメージは、あなたのそれとどのくらい同じで、また違うのでしょうか?この同じさ、違いは、コミュニケーションをするのに十分なものなのでしょうか?でなければいったいどうやってわたしたちはコミュニケーションできるというのでしょう?
コミュニケーションの媒体を通じて情報が流れてゆくとき、そこにはなんらかのダイナミックな出来事が起こっています。普段は気づかないか、邪魔なので気にしないでいることですが。私たちはこのワークショップを通じてそのことを発見できたのです。 :o)
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